クロアチア旅行記

2007春の旅:クロアチア(3)ドゥブロヴニク(by edanさん)

クロアチア
2007春の旅:クロアチア(3)ドゥブロヴニク

約1ヶ月間のひとり旅、訪問6カ国目はクロアチアです。

25日目:ヴィス〜スプリット〜ドゥブロヴニク
26日目:コルチュラ
27日目:ドゥブロヴニク
28日目:ドゥブロヴニク〜ハノーファ

長距離バスでピレ門前に到着すれば必ず会うことになるだろう部屋斡旋をする「イヴォ」を見つけた。
前回に滞在したプロチェ門にある老婦人の部屋を照会してもらいたくて声を掛けたのだが、無理やり彼の家に案内された。オフシーズンなのでまずは自分の部屋から埋めたいのだろう。部屋は今ひとつ。
彼の奥さんはジュリア・ロバーツ似の美人、子供たちもお母さん似で愛想がよく、滞在中の暇つぶしの相手もしてくれる。
しかし決して悪人ではないのだが、「イヴォ」は食えない奴。

悪天候の為、またスルジ山に登れなかった。
次回に訪れるときこそ上るぞ!

【旅行時期】2007/05/01~2007/05/04
【エリア】ドブロブニーク
【テーマ】ひとり旅
【投稿者】edan

2007春の旅:クロアチア(1)シベニック〜クルカ(by edanさん)

クロアチア
2007春の旅:クロアチア(1)シベニック〜クルカ

約1ヶ月間のひとり旅、訪問6カ国目はクロアチアです。

22日目:ウィーン〜ザダール〜シベニック
23日目:シベニック〜クルカ〜スプリット〜ヴィス

ウィーンからザダールへ飛ぶ。
空港からザダールのバスターミナルまでのバスを探すが、誰に聞いても分からないという。
この時期、ザダールへは毎日飛行機が到着しているわけではなさそうだ、その場は混乱していた。
突然人々が1台のバスに向かって動き出す、どうやらずっと留まっていたそのバスが市内行きに「なった」ようだ。

バスターミナルに到着。私が「シベニクに行きたい」と空港で職員に言っていたのを耳にしていた女性が声を掛けてきてくれた。
切符売り場に案内して、時間や乗り場を調べてくれた。
彼女の乗りたいリエカ行きのバスは4時間後らしい、「ここから2時間の場所なのに」とため息をついていた。
シベニク行きはすぐにあったので、明るいうちに到着することができた。

彼女に付き合って遅い便にしようかとも思ったが、しなくて正解だった。
それは、シベニクで宿を探すのがひと苦労だったからだ。
SOBEの客引きも現れない。
観光案内所は土曜日なので休み...自力ではホテルが1件しかみつけられなかった。
そのホテルへ向かう途中に横切ったカフェから面妖な男?が内股で駆け寄ってきた。
「あ〜ら、お部屋をおさがしかしらぁ?」といった感じだ。
選択の余地はない、彼(自称ドイツ人)の従姉だという人の家へ案内される。
途中は石造りの昇り坂と階段が続くが、とにかくおしゃべりな彼は立ち止まっては、あれやこれやと話し出す。
その度に重い荷物を担いだまま、私も立ち止まることになる。「だまってさっさと行ってくれ」と怒りそうになるのを我慢した。
部屋で落ち着いてから迷路のような町を出て海岸沿いまで出ると、ひとり旅の日本人と出会い、夕食をともにした。

クルカ国立公園からシベニク間をバスで往復するには朝出ると夕方に帰る便しかない。
その日のうちにヴィス島まで移動してしまいたかったし、クルカ国立公園が良い場所なら予定変更もあり...シベニクのタクシー待機所で料金を予め交渉しておいた後、ドライバーの電話番号を聞いておいた。クルカはプリトヴィツェに比べると小規模、けっして良くないわけではないがプリトヴィツェを訪れた後には少し物足りなく感じた。バスは本当に夕方までない、信じていなかった訳ではないがもしかしたら何か交通機関があるかもと思っていたのに。山の中で6時間近くも時間をつぶすのは難しい、タクシーを呼ぶことにした。そこで待ち合わせの場所が分からず一苦労、30分くらいおたがいに彷徨った。やっと出会えたそのタクシードライバーは前日あったときとは違った出で立ちで、まるでラッパーのようなアクセサリを身につけ黒いサングラスにTシャツ。たしかひとのよさそうなおじさんだったはず??
「ずいぶん探したぞ、いまからどこへ行きたいんだ?」シベニクまで戻ってバスでスプリットまでバスで行くと言うと、新道を通ればスプリットまではあっという間だスプリットまでこの車で行こうと言う。
えぇ?そんな贅沢はできないぞ...「いや、ちょっとむり」と断ると、「クルカからシベニクは昨日交渉した値段どおり頂くが、これからは友達として案内する。燃料代だけでいいよ」と答える。
そんな話は有りか?それにいつの間に友達になったんだ?
彼はこれからスプリットまでの途中どこに立ち寄って、何を食べて...とドライブ気分だ。
彼とは言葉の問題でスムーズな会話が成り立たないがお互いに言わんとすることは不思議と通じたし信用できた。
シベニクに到着して預けてあった荷物を受け取り、彼といっしょにスプリットまで行く決断をした。
まずは街が一望できる高台まで、そこからプリモシュテンまでドライブ、途中彼の薦める店で羊の丸焼きをご馳走になる。
スプリットまでの新道だというハイウェイ(?)を快適に走り抜けた。見覚えのあるスプリットの街が見えてきた頃、彼は私たちの出会いについて回想を始めたようだ、なにごとかぶつぶつ言いながら目が赤くしている。港に着いて船の切符の手配やなにやらすべて世話してくれ、ガソリン代が幾らか分からないので、たいしてお金の入っていない財布を「銀行にいったほうがいいかなぁ?」と言いながら丸ごと彼に渡すとメーターが指していた金額の1/5を彼は受け取った。「クロアチアに着いたらどこからでも電話しろ、この車で迎えに行くからな。」えっ、このタクシーでですか?彼のおかげで楽しい時間を過ごすことができた。

【旅行時期】2007/04/28~2007/04/29
【エリア】シベニク
【テーマ】ひとり旅
【投稿者】edan

クロアチア・サダール編(by パパスさん)

クロアチア
クロアチア・サダ−ル!
今回のクロアチアに行くまでは名前も聞いた事が無かった街でした。
しかし歴史的には古くから栄えた街なのです。
サダ−ルに到着したのが夕方。
海岸沿いに面したレストランで夕食を頂く事になりました。
初めは感じの良いレストランだなぁ。と思っていたのですが、旅行社のサプライズは別の瞬間を用意してくれていました!
それが、表紙の燃えるような夕焼けだったのです。
添乗員のお嬢さんが食事も程々に外に出て行き、夕陽が沈むタイミングを見ていてくれたのです。
そして食事も終わりに近づいた時に呼びに来てくれました。
一同外に出た瞬間、今まで見たことも無い綺麗な夕陽に感動を憶えました。
その場に居る全ての人達が幸せな気持ちに満たされたことは間違いないと思います。
ヒッチコック監督もサダールの夕陽に感嘆したと聞きました。
アドリア海のブルーと太陽の赤外線が見事にコラボした瞬間に立ち会えた事に感謝したいと思います。

【旅行時期】2008/08/08~2008/08/08
【エリア】ザダール
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】パパス

Montenegro(by kmさん)

クロアチア
*世界一新しい独立国(2007年3月現在)
*Kotor
Kotor旧市街よかったです。世界遺産なのに(じゃなかったっけ)頂上に上るまで誰とも会わず。物音がするっとおもったらヤギの群れでした。城跡はヤギの糞でいっぱい。頂上から見下ろす屋根の色、海の色、石畳の色・・・クロアチアのドブロブニックで観光客の多さに興ざめしてしまった人(私もそうです)にお勧めしたい。

*世界遺産マニアに聞くNo1
スロベニア人のTは世界遺産マニア。世界で最も訪れにくい社会のひとつピトケアンの、世界でもっとも訪問しにくい世界遺産のひとつヘンダーソン島にまで来てしまうという執念親父だ。当然訪問国も多い。彼に「今迄で一番きれいな国はどこだった?」と聞いてみた。私はこの質問をされると困ることが多い。というのは国にはそれぞれ味があって、ひとつに絞るのは至難の業だから。けれど、予想に反してTはきっぱりと堪えたのだった。「一番美しい国はモンテネグロだよ」皆さんはどう思われるでしょうか。

【旅行時期】2005/10/~2005/10/
【エリア】モンテネグロ
【テーマ】
【投稿者】km

◆2001年 秋◆スイスを拠点に近隣を周遊 40日間の旅 ◆part7 オーストリア(ウィーン)◆(by mariさん)

クロアチア
2001年、マルタでの語学留学を終え、約40日間の旅行をすることになりました。

マルタの語学学校で仲良くなった友人を訪れて歩くのがメインの旅ですが
個人であちこち歩き回るのは初めての体験で、不安と期待がいっぱいでした。

スイスの友人宅の一室を「好きに使っていいよ」と与えてもらえたので
そこを拠点にあっちこっち足を延ばしてみました。

**2001年10月2日〜4日**
スイスのチューリッヒ駅から夜行列車でウィーンへ移動。
チューリッヒ駅では列車に乗り込む人、見送る人でホームは賑わっていました。
中でも一組の若いカップルが、今生の別れを惜しむかのように
人目もはばからず熱烈に抱き合い、キスを交わし、発車のベルが鳴るその瞬間まで
離れてなるものか、とばかりにイチャついていたのですが、
ベルがなった途端、なんと2人揃って列車に乗り込みました・・。

友人と私は思わず「えー・・?」の一言。

列車は深夜に国境を越え、パスポートのチェックがありました。
初めて列車で国境を越え、しかも初めての寝台車。
なんだか「旅に出た」という実感が湧いてきて、妙にワクワクしていました。

マルタで「プラハかクロアチア、ブタペストは絶対に見た方がいい」と
いろいろな人に勧められ、限られた日数でどうのようにまわろうか悩んでいたのですが
矢先にあの『9.11テロ』があり、遠く離れたヨーロッパにもその余波が訪れ
スイスエアが破綻したり、各空港での出入国に異様に時間がかかり
なんとなく不穏な空気が流れていたため、あまり(友人が帰国する空港のある)
ドイツから離れない方がいいね、ということで、今回は無難に
スイス→プラハ→ミュンヘン、というコースにまとめました。


寝台車で一晩を過ごし、到着したウィーン。
郊外のユースホステルに部屋を見付けました。
新しいユースだったので、近代的できれいだったのですが、なんせ
ユースも初体験だったので、そこがきれいなのかどうかは当時の私には
正直わかっていませんでした。


ウィーンは滞在中ずっと晴天と言ってもいい秋晴れで、青い空に
美しい街並みが印象的だったのですが、なぜか・・あまり好きになれない場所でした。

なぜでしょう?
街並みは美しく、食べ物もおいしくて、お天気も良くて、
ちょっとイヤなことはありましたが、それはどんな国に行っても起こる程度のトラブルで
そもそも私は1人の人間にイヤな思いをさせられてしまっても
そのことでその国全体の評価をする癖はありません。

なぜ、ウィーンが好きになれなかったのかは今でもわからないのですが、
この話をあとになってマルタの友人に話したところ、彼女も新婚旅行で
東欧をまわった際、なぜかウィーンだけ好きになれなかった、その理由はわからないんだけど、
と同じ感想を言っていました。

私と友人の共通の結論は「なぜか悲しい気持ちになる街だった」でした。

きっと【相性】なんでしょうね。

私は子供の頃、漠然と「ヨーロッパのお姫様」に憧れていて
夢を見るのは「フランスの大きなお城に住むお姫様」「ドイツの古城で暮らすお姫様」
と並んで「ウィーンのお姫様」にも思いを馳せており、
どちらかと言うと、ウィーンには憧れの気持ちを持っていたので
実際に訪れてみた結果、好きになれなかった自分に、正直驚きというか
ショックを覚えました。


これまで訪れた国や町で「好きになれなかった」と明言してしまうのは
ウィーンだけで、しかもはっきりした理由もわからないなんて
なんだかとても悲しい話なのですが、ずっと「ウィーンにはもう行きたくない」
と言い続けていました。


でも、今回この旅行記を作成するにあたり、古い写真をしげしげと眺めていると
なぜか無性に「今なら違う気持ちになれるんじゃないか」という
気持ちが湧いてきました。

ウィーンの町を初めて見た印象は
「これがスイスからじゃなく、日本から来たんだったら、
もっと違う気持ちだったかも知れない」
でした。

今回の旅行記を作成するまで、ウィーンの写真すら見直す機会がなかったのですが、
一枚一枚「ここってどこだったかな?」と記憶をたぐりながら見つめ直すと、
当時より年齢を重ね、旅をする際の視点も変わり、感じ方も
過ごし方も変わった今なら、もっとウィーンを楽しめるんじゃないかな、
なんて気持ちになりました。

【旅行時期】2001/09/22~2001/11/01
【エリア】ウィーン
【テーマ】ひとり旅
【投稿者】mari